娘の修学旅行記

娘が長崎・熊本方面の修学旅行から帰ってきました。

「どこがよかった?」と聞くと、

角煮まんじゅう、カステラ、アイスクリーム、チャンポン、皿うどん、・・・ 

と、食べ物の話しか出てきません。

ったく~。(+_+)

「そうじゃなくて・・・」

と、さらに突っ込むと、

「そうだなぁ、眼鏡橋がよかったかなぁ。ハートの石とかもあって・・・」

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脇で聞いていた家内が、

「へえ、眼鏡橋にハートかぁ。見てみたいな~」

「おいおい、昔一緒に行ったじゃん。ハートも見たじゃん」

「えっそうだっけ?」

ったく~。(+_+)

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震災後初仙台

今週の水、木に出張で仙台、名古屋に行ってきました。
水曜日に仙台に泊まり、翌日は東北新幹線、東海道新幹線を乗り継いで名古屋へ。

仙台といえば、H3年から3年間暮らした、私にとっては第二の故郷とも言うべき場所です。

だから震災後はすぐにでも行きたかったのですが、もう1年以上が経過してしまいました。

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仕事が終わった後、地元のメンバーとの懇親会がありましたが、それまでの間に1時間ほど空き時間があったので、あの当時の面影を求めて、名掛町、一番町、広瀬通り、定禅寺通り、国分町と、とにかくできる限り歩き回ってみました。

私にとって特に思い入れの強い場所は国分町。

しかし、当時の馴染みの店は一軒もなく、寂しさだけが募りました。

懇親会のあと、仕事のメンバーとは離れ、旧友と旧交を温めてきました。

深夜までカラオケ。

あの当時は週に2,3日はカラオケに通っていましたが、あの頃唄っていた歌を中心に唄いまくり、しばし思い出に浸ってきました。

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懐かしさの一歩手前で

こみあげる 苦い思い出に 

言葉がとても見つからないわ 

あなたがいなくても こうして 

元気で暮らしていることを 

さりげなく 告げたかったのに・・・

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なにゆえ「かぶちゃん村」?

今年のGWは松本の実家へ。
5/3は生憎の空模様だったため、近場で済まそうと池田町にある「あづみの池田クラフトパーク」に出掛けてきました。

そして5/4、この日はいい天気でした。
北信か南信か迷った末、母の一言で飯田市にある「伊那谷道中」に出掛けることにしました。

松本から約100km。

しかし、現地に着いたものの、伊那谷道中らしきものはなく、代わりに「かぶちゃん村」などという訳の分からないものが。

そもそも我々は「伊那谷道中」がナニモノかも分かっていなかったので、混乱するばかりでした。

車で近辺を走り回ってみたのですが、それらしきものは見当たらず、仕方なくかぶちゃん村に戻って駐車場係の人に聞いてみました。

すると、この4月に「伊那谷道中」は「かぶちゃん村」に名を変えたとのこと。

なにゆえ、そんな意味不明の名前に?という疑問はあったもののとにかく中に入ってみることにしました。

馬篭、妻籠のような昔の宿場町を再現したようなもので、正直なところ、ホンモノよりは・・・ね。

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でも、周りの景色も良かったので、気分は良かったですね。

そして、息子2人、娘2人の計4人を従えた曲芸師一家の芸はなかなかでした。

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飯田市は全国の水引の70%の生産量を誇るそうで、水引を利用した厄除け祈願のイベントも用意されていました。

ということで、そこそこ楽しめる施設だと思いました。

馬篭、妻籠も割と近くにあるので、セットで出掛けてみるのもよいかもしれません。

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ただ、やはり名称は変えた方がよいのでは?(^_^;)




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組織風土は何によって決まるか

Dsc_3897_01 昨日(6/12)、神戸大学で行われた「組織変革、組織開発、意識改革」をテーマにしたワークショップに参加してきました。

神戸を訪れるのは22年ぶりになります。

ワークショップには、神戸大学の金井壽宏教授、スコラコンサルトの柴田昌治さん、90年代にいすゞ自動車で風土改革を推進していた北村三郎さん、その当時の社長の稲生武さんの4名が登壇されました。

そこで聞いた話の中から、お気に入りの話を一つ紹介します。

『失敗学のすすめ』でお馴染みの畑村洋太郎さん。現在は東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会委員長をされています。

その畑村さんが著書の中で、JR東日本とJR西日本の社風の違いについて述べられているそうです。

その件について、いすゞ自動車の会長を退任後、JR東日本の取締役を務められた稲生さんが関連するエピソードを紹介してくださいました。

まず、JR西日本の経営会議資料を見ると、至る所に「収益性」という言葉が見られるそうです。ここからJR西日本が最も大切にしているものが「収益性」だということが分かります。

それに対して、JR東日本の経営会議資料には「安全性」という言葉がたくさん見られるそうです。「ここまでやるか?」と思うほど、JR東日本は安全性に対してはとことん経営資源を注ぎ込みます。

3.11の東日本大震災が起きた瞬間、JR東日本では27本の新幹線が全速力で走っていました。しかし、ただの1本も脱線しなかったそうです。

2004年に中越地震が起きた時、JR東日本では何本かの新幹線が脱線してしまいました。そのため、その原因を分析し、徹底的な安全対策を打ってきたのです。

ただ、中越地震で脱線した新幹線も、全て真っ直ぐ止まったため、事故を起こした車両は1台もありませんでした。

その時の社長は、記者会見で上越新幹線の復旧見通しについて、12/28までには復旧させます、と約束しました。

現場もそれに答えるべく、確実に安全に復旧に向けての工事を進めました。

社長は現場を信頼しているし、現場も社長を信頼していたのです。

ここが東京電力とも大きく違うところです。

そして、JR西日本でセミナーを行った柴田さんによると、残念ながらJR西日本の経営陣は、現場を全く信頼していなかったそうです。東京電力も一緒です。
ということは、現場も経営陣を信頼していないということにもなります。福島原発の吉田所長を見れば一目瞭然ですね。

さて、中越地震後、工事が完了した上越新幹線では、試験用の車両を走らせました。

その車両の運転室には、JR東日本の社長の姿がありました。

この話をする時、稲尾さんは少し涙ぐんでいました。

経営者が社員を信頼するということ、これが如何に大切か・・・胸に沁みる話でした。

ワークショップの後、4名を囲んでの懇親会に私も参加させていただきました。

六甲道にあるイタリアンレストランで、ワインを傾けながら、皆さんの話に酔いしれました。

贅沢な日曜日になりました。

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元気が出るサイトたち

東北地方太平洋沖地震発生から1週間以上が過ぎました。

地震、津波、発電所の事故と、立て続けに幾重もの恐怖が襲いかかってきているため、阪神大震災の時と比べて平穏を取り戻すには長い時間がかかることが予想されます。

特に「放射能」という見えない恐怖と闘うのは精神的にも非常に厳しいものがあります。

でも、福島にある原発は東京電力だということを、私たち首都圏に住む人間は忘れてはならないと思います。

首都圏に電気を送る施設のために、福島の皆さんはロクに動くこともできず苦しんでいるのです。

そんな折、電車の中で悲しい中吊り広告を見てしまいました。「週刊現代」「フライデー」「AERA」といった雑誌たちです。

徒に人々の恐怖を煽ろうとしているきゃつらの魂胆は、この非常時に詐欺や窃盗を働くヤカラと大して変わらないと思いました。

さて、そんな中で、私に出来ることといえば、節電をする、買いだめをしない、義捐金を送るといった微々たるものしかありません。

でも、世間にはとても心温まるサイトや、勇気づけられるサイトがたくさん出てきており、それは大変有り難く嬉しいことだと思いました。

そんなサイトをいくつか集めてみました。

■twitterに投稿された心温まるつぶやき

http://prayforjapan.jp/tweet.html

http://prayforjapan.jp/message/

■ひとりじゃない

http://www.youtube.com/watch?v=IxUsgXCaVtc

■韓国の中央日報社説

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138189&servcode=100&sectco

■世界から届いた日本への祈り

http://matome.naver.jp/odai/2129985372846288901

■"The New York Times"掲載されたエッセイ

http://nyti.ms/gQXVsT

■みんなの想い、被災地に届け!!支援物資アイデアを共有して企業に働きかける「Todoke!」

http://greenz.jp/2011/03/18/todoke/#

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)

http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/

■都内における大気浮遊塵中の核反応生成物の測定結果

http://www.sangyo-rodo.metro.tokyo.jp/whats-new/measurement.html

■「また、再建しましょう!」

http://www.youtube.com/watch?v=2zeroCZSrjo

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第3回東京夜行軍始末記

11/19,20と「東京夜行軍 by 松本深志OB/OG」が催されました。

私個人は、前回に続き2回目の参加です。

そしていきなり、実行委員長を引き受けることに。

今回は、一年先輩が同窓会で声を掛けてくださったこともあり、上は60台から下は大学生まで、総勢27名での夜行軍となりました。

23:30に両国に集合し、円陣を組んで自己紹介をし(これは是非やりたかった!)、本所松坂町の吉良邸跡を目指して出発しました。

私は実行委員長として殿(しんがり)を勤めました。

予定としては、その後、水天宮を通って、日本橋を抜け、銀座、新橋、芝公園、泉岳寺、竹芝、浜離宮庭園、そして築地市場という16kmの行程を辿ることになっていました。

ところが、新橋に着いた時点ですでに30分以上の遅延が発生し(この時点でAM2:00近く)、このままでは予定の4:15に築地に到着することは不可能で、下手すると明け方になってしまうのでは?ということで、先導を勤めてくださった先輩の判断により、目的地を愛宕山に変えることになりました。

Dsc_2375_2おそらく5km以上の短縮になったのではないでしょうか。

27名の参加により、列が長くなってしまったこともあり、前回よりも大幅に歩く速度が遅くなってしまったようです。

それでも愛宕山の急階段は歩き応えがあり、まあ、そこそこ風情もあり・・・

赤穂浪士の皆様には申し訳なかったのですが、楽しい行軍になったと思います。

そして、AM3:00過ぎに築地市場に到着。

24h営業の鮨屋に入って祝杯です。

ここのビールが何とも旨く、また鮨も旨い。始発電車が動き始めるまで鮨をたらふく食べて英気を養います。

天候も比較的穏やかでしたし、初心者向きの夜行軍になりました。

しかし、しかし・・・

私は前の晩も会社で徹夜をしたせいか、前回よりも遙かに体に堪えていました。

帰りは、テリー伊藤のお兄さんがやっている例の卵焼き屋で卵焼きを買い(ちゃんと本人がいるんですね!)、安い鮪の刺身を1kg買い、帰路に着きました。

優雅なオトナの遊びと言ってもよいでしょう。次回も楽しみです。

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苦渋の決断

先日の日記で紹介しましたが、いよいよ明日、9/24は松本深志高校OB/OGによる「東京夜行軍」の日。

しかし、今週頭ぐらいから週間天気予報をチェックしていたところ、明日の傘マークがなかなか消えませんでした。

折角準備してきたのに・・・

築地の鮨屋も予約してしまったのに・・・

「たとえ雨が降っても、強行しよう!深志男子(女子も)の心意気を見せてやる!」

実行委員会では、強気の発言が大勢を占めており、私もその気になっていました。

しかし、本日一日、話し合った結果、順延することになりました。

決め手となったのは、先輩の一言。

「八甲田山の悲劇の行軍を思い出して欲しい・・・」

ここで勇気をもって中止にするのも、深志男子の心意気ですかね。

次回は、11月ぐらいかな?

明日の晩、関係者で集まって相談する予定です。

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夜行軍下見へ!

9月24日に松本深志OB/OGによる「第3回東京夜行軍」が開催されることになりました。

気が付くと、私が実行委員長になってしまったため、昨日は先輩方と一緒に夜行軍の下見に出掛けてきました。

奇しくも昨日は、全国で記録的な”暑さ”となった猛暑の日。どうなることかと心配しながら両国を出発しましたが、隅田川が近づくと爽やかな川風が吹いてきて、ちょっといい気分。

100904_131058_2 人形町では、ちょっと前にドラマになった『新参者』に登場した店をチェックしながら進みます。

下見の一番の目的は公衆トイレを探すこと。

信州の夜行軍だと、なかなかトイレがないので女性が参加することは難しいのですが、東京だとその点楽ですね。

今回の夜行軍のテーマは「赤穂浪士」。

本所松坂の吉良邸から、泉岳寺まで向かいます。

そして、ゴールはやっぱり築地市場。

24時間営業の寿司屋に入り、未明のどんちゃん騒ぎをして幕を閉じます。

今回の参加者は今のところ25名です。

予約した寿司屋では、「何の団体ですか?」と不思議がっていましたが、色々説明するのも面倒なので「高校の同窓会です」ということにしました(まあ、確かにそうなんですが)。

最近の深志では、夜行軍が実施されていないという噂を聞きます。

こんなにも楽しくて、そして充実感があるのに・・・

なんとももったいない話です。我々が盛り上げるしかないのかな。

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東京夜行軍

集まったのは、20代の大学生から50代まで、総勢20名。

午後11時に東京スカイツリーを出発し、浅草、大手町、日比谷、東京タワーを通って、ゴールの築地に着いたのが、午前三時半。

そこで、24時間営業の鮨屋に入り、始発が動き出すまで大宴会をし、7時半に自宅に帰ってきました。

深夜の東京はいいですね。

信州と違って、人っ子一人いないという状況は全くありませんが、それでも昼間の喧噪がウソのように静まりかえっています。

わずかに14kmの道のりでしたが、それでもおじさんには応えます(苦笑)。

今日は、ずっとベッドの上で暮らしていました。

まだ筋肉痛にはなっていませんが、明日がちょっと思いやられます。

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こすい

先週の金曜日、会社で仕事をしていたら、後ろから「こすい」という言葉が聞こえてきました。

※「こすい」=信州の方言で「ずるい」という意味がある。

おや、こんなところにも信州人が?

だけど、「こすい」なんて方言使ったら、みんなから何か言われるんじゃないの・・・と思っていたら、誰からも疑問や非難の声が上がりません。

むむむ?と思って、ネットで調べてみたら「こすい」は信州の方言ではありませんでした。東日本全域で使われているようです。

今頃こんな事実を知るなんて~!!

大学に入学して、東京に出てきた信州の若者は、

「ええ!この言葉って方言だったの?」

と愕然とする場面に何回か遭遇します。

しかし、その反動で標準語を方言と認識してしまう場合もあります。

私が「あ~あ、くたびれたな~」と言ったら、従姉が「それ、方言だよ」と言うので、「じゃあ標準語では何と言うの?」と聞くと、「『疲れた』だよ」と宣った時にはさすがに笑ってしました。

ちなみに、宮城県の若人は、ジャージのことを「ジャス」と呼びますが、大学に入って東京に出てきて、これが通じなかった時に愕然とするそうです。

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