« 最後に残る欲望とは? | トップページ | 第3回東京夜行軍始末記 »

侵略される側の論理

知人に、

「昨年、私が読んだ中で一番泣いた本です」

と薦められて、高橋克彦の『火怨』を読みました。

八世紀後半、それまで平和に暮らしていた陸奥の民。
しかし、黄金が発見されたことにより、黄金欲しさに支配せんと攻めてくる朝廷の大群に、蝦夷のリーダー「アテルイ」が如何に立ち向かったか・・・という物語です。

私たち、「大和」側の人間としては、征夷大将軍坂上田村麻呂の側から物事を捉えることはあっても、「蝦夷」側から見ることはあまりないのではないでしょうか。

侵略する側の論理と、侵略される側の論理。

わずか一万余の兵で十万の大群にどのようにして立ち向かったのか。

アテルイを補佐する知将、勇将たち。

勝利することよりも、自分たちを「同じ人間である」と大和の人間に認めさせたかった蝦夷たち。

実は、攻める側の田村麻呂も、征夷大将軍という立場上、仕方無く攻めているのであって、蝦夷側に心を寄せているのでした。

蝦夷にこそ「人間らしさ」を見ていたのです。

ちょうど今日、読み終わったのですが、最後の数頁は涙で霞んでなかなか読み進めることができませんでした。

でも最後には、哀しいけど、清々しい気分にもなりました。

そういう意味では、ちょっと前に読んだアメリカインディアンの詩もよかったな~。

地球を支配しようとする白人や、あるいは我々よりも、地球と共に生きようとする彼らの方が、よほど深い生き方をしていると思うのですが・・・

ね。

|

« 最後に残る欲望とは? | トップページ | 第3回東京夜行軍始末記 »

「文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/198615/37556597

この記事へのトラックバック一覧です: 侵略される側の論理:

« 最後に残る欲望とは? | トップページ | 第3回東京夜行軍始末記 »