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2番目の犠牲者

息子もインフルエンザにかかってしまった。

感染元は間違いなく私である。

息子がタミフルを服用するときは自分の時よりも数倍緊張した。

半日が過ぎ何事も起きていないので、とりあえずは安心している。

家内は私がインフルエンザにかかる前から風邪で咳き込んでいるし、あとは娘だけという危機的状況である。

何とか明るい新年度を迎えたいものである。

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インフルエンザ2日目

今年は風邪らしい風邪を引かなかったなあ~と思っていたら、年度の最後にインフルエンザにかかってしまった。

週末の尿管結石に続き、今週は病気の1週間になってしまった。

昨日から会社を休んでいる。

昨日の昼間の時点では、熱も37.5度くらいしかなく、ただの風邪かなと思っていたのだが、夕方くらいからがんがん上がりだし、39度近くをずっとうろうろしていた。

これはいよいよインフルエンザだなと思い、医者に診てもらったところ、やはりインフルエンザで、話題のタミフルをもらってきた。

さっきタミフルを服用し約3時間が経つが、まだ高いところから飛び降りようという気にはなっていないので、変な副作用はあらわれなかったようだ。

久々に熱にうなされた2日間であった。

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モルヒネ?

週末、実家に帰ってきた。

土曜日の昼は久々(おそらく15年ぶりくらい)に中町のデリーでカレーを食べた。

定番のチキンカレーを食べたが、肝心な鶏肉が骨付きでは無くなっていた。

また、カレールーも幾分小麦粉の量が増えているようで、以前の香ばしさ、シャープさが無くなっているような気がした。

松本の名物がまた一つ減ったようで、少し寂しい気がした。

その後、実家へと向かった。

午後2時くらいに、私の背中が痛み出した。

厭な予感がした。

5,6年前に、尿管結石で地獄の苦しみを味わった時と、痛む場所が似ていたのだ。

今夜は、実家の方で山辺の温泉旅館に宴席を予約してあったので、それには絶対に行きたいと思っていた。

しかし、4時過ぎになり、さらに痛みが増してきたので、近所の総合病院に出掛けることにした。

週末ということもあり、内科と整形外科しかやっていなかった。

また、田舎の病院だけあって、何ともノンビリした医者が対応した。

尿検査とレントゲン検査を行ったが、尿管結石の決定的な証拠は見つからなかった。

それでも状況から「まず尿管結石でしょう」ということになり、痛み止めの筋肉注射を打ってくれた。

数分待ったが痛みは引かなかった。

それでさらに「ボルタレン」という座薬を投与してくれた。

痛みはほとんど変わらなかったが、これ以上治療の手段を持ち合わせていないとのことで、仕方なく帰宅した。

大事を取って、私は泣く泣く留守番をすることにした。

みんな温泉に出掛け、誰もいない実家で、一人おとなしく待っていることにした。

痛みはさらに増してきた。

いよいよこれは尿管結石だという確信に変わった。

誰もいない実家で、一人のたうち回っていた。

7時が過ぎたが、みんなが帰ってくるまでは耐えられそうになかった。

それで仕方が無く、弟の奥さんに電話し、今から救急車を呼ぶ旨を告げた。

派手な音をさせて救急車がやってきた。

それとともに、実家の留守を守るため、弟たちが手配した親戚のおばさんもやってきた。

おばさんは、まるで私が今にでも死ぬかのように心配していた。

救急車は松本の相澤病院に向かった。

病院に着くと、車いすに乗せられ、そのまま処置室に直行し、即座に脈拍を計るための電極を付けられ、点滴をされた。

対応する看護婦も医師も、先ほどの総合病院とは大違いで、てきぱきしていた。

尿検査とレントゲン検査は実施済みである旨を告げると、再度尿検査を行い、さらにCTスキャンを撮ってくれた。

CTスキャンを行うときに、造影剤を投与されたが、頭の天辺から足の先までカアッと熱くなった。

CTスキャンの結果、石が発見された。尿管結石確定である。確定するまでの間は、痛みでうめいていたが、温泉から一人駆けつけてくれた母に背中をさすってもらっていた。

ボルタレンはすでに投与済みである旨を告げていたため、医師はさらに強力な薬を投与してくれた。

点滴の管からその薬を注射すると、喉にすうっとする感覚がした。

その後、頭がクラクラとしたと思ったら、あっという間に痛みが消えていった。

あとで家内から、「それはモルヒネだったんじゃないかしら?」と言われたが、魔法にかかったような感覚だった。

治療が終わり会計が終わる頃、温泉に行っていた、弟一家とうちの家族が病院に駆けつけてくれ、そのまま実家に帰った。

何とも慌ただしい一日だった。

一夜明けて今日、昨夜のことが夢のようである。

何事もなかったように、横浜に帰ってきた。

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学生のノリで

年度末ということもあり、とある打上パーティーに参加してきた。

その中で、2枚の賞状をいただいた。

嬉しいような、恥ずかしいような、馬鹿馬鹿しいような・・・、と言ったら事務局に叱られる。(苦笑)

その後、渋谷にカシを変えて呑んできたが、今夜はもう完全に学生のノリで、一気はしまくるは・・・は・・・で、お陰で酔いは最高潮!電車を乗り過ごし、中央林間まで行ってしまった。

今日が思いやられる。

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息子の性癖

娘のピアノ発表会があった。

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2歳0ヶ月の息子は、ピアノ発表会会場における観客の心得というものをまだマスターしておらず、時々奇声を上げるものだから、夫婦してその臨界点を見極め交替で会場の外へ連れ出していた。

会場は青葉台東急の5Fにあり、その下には電器店がある。

私が連れ出したとき、息子は階段をトコトコと下りて電器店まで行ってしまった。

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仕方なく私が後を付けていくと、急に若い女性に抱きついていった。

こちらが謝るより先に、あちらが謝ってきたが、あとでこの話を家内にしたところ、ちょくちょくこんなことをしているそうだ、我が息子は・・・

しかも、抱きつくのは、若くて綺麗な女性ばかり。

我が息子ながら何とも困った奴だ。もし二十歳までこの癖が続くようであれば、なにか対策を考えねばならないだろう。

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バスに反応

車に息子を乗せて街を走っていると、息子はバスに鋭く反応する。

バスが向こうからやって来ると「ン!ン!ン!」と、バスを指差し騒ぎ始める。

電車も同様である。

先日、息子は「カッコー」という言葉を話したと書いたが、その後も基本的には、息子の言語の9割は「ン、ン」だけである。

こちらの話す言葉は半分くらいは理解できるようであるが、同意と不服を息子は「ン、ン」という言葉ですべて表現する。

その中で、乗り物の図鑑が好きで、乗り物の名前だけは少しずつ覚え始めている。

「バス」→「バーフ」

「ラッコ号」→「ラックォ」

「コアラ号」→「クォア」

「電車」→「ゴッゴッー」

娘の図鑑を持ってきては、乗り物の写真を一つ一つ指差し我々に説明を求める。

困るのが、娘の図鑑は小学生向きなので、息子に説明するには少し詳しすぎるということ。

「バス」も、「路線バス」「観光バス」「トロリーバス」「連結バス」「二階建てバス」「JRバス」「はとバス」、それと前述の「ラッコ号」「コアラ号」など種類が豊富にある。

それを種類毎に名前を説明するのか一緒くたに「バス」とするのか?

電車、自動車、オートバイ関係も同様。

息子に、「ランボルギーニ・ディアブロ」「ホンダ・ゴールドウィング」なんて細かい名前を覚えさせても仕方がないと思うが、写真がたくさん載っているとその違いを説明しなくてはならない。

乗り物にだけは異様に詳しい子どもになってしまいそうだ。

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炎のボウリング大会

3月9日(金)にグループ内のボウリング大会が開催された。

参加者は9名。それを3名ずつの3チームに分けて、チーム対抗で点数を競った。

優勝チームは二次会の飲食代がタダとあって、皆笑っちゃうくらい異様に燃えていた。

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自分のチームの人間をこんなにも真剣に応援したのは何年ぶりだろうか・・・(苦笑)

ボウリングはみな久しぶりとあって、かなり低レベルの争いとなった。自己申告だと半分近い奴がハイスコアは200を越えていたのだが、150を越える点数も出ないという有様。

結果・・・私のチームが優勝した。

二次会は盛り上がった・・・と言いたいところだが、いきなり酒をこぼした奴がいて、しかもそれが毒々しい色のカシスオレンジで、隣に座っていた本日最低の成績だった男のズボンをびしょびしょにしてしまった。

彼にしてみたらボウリングの成績は振るわないは、ズボンはびしょ濡れになるはで、踏んだり蹴ったりの一日だったわけで・・・、やり場のない怒りが皆にひしひしと伝わってきて、全体的にも盛り下がってしまった。

それにしても・・・二日経っても右手の握力が回復しない。(苦笑)

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自己嫌悪の一日

昨夜(3月7日)は久々に痛飲してしまった。

・・・と言っても、3月5日にも派手に呑んでいるので、久々というわけではないか。

久々なのは・・・

呑んだ翌日、すなわち今日一日は、自己嫌悪から逃れられなかった。

しばらくは自粛しよう・・・と言いつつ、明日も飲み会か。嗚呼・・・

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社長との飲み会

今晩は社長との飲み会があった。

社員は約15名。

立食形式だったが、常時社長の周りを5名くらいの社員が取り巻いていたので、気の弱い私は遠巻きに見ていた。

ただ、最後の最後に社長が「あなたのメルマガはいつも読んでいるよ。あの内容はスゴイと思う」とおっしゃってくださったので、ちょっと感激した。

今日の日記はこれでおしまい。(笑)

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私の花粉症物語

中学の頃、健康診断で「乾燥性鼻炎」と診断された。

鼻水が出るのに乾燥性とは・・・違和感を覚えたが、鼻の粘膜が乾燥しやすいのだと言われた。

大学に入って信州から首都圏に出てきて、それがアレルギー性鼻炎に変わった。

本格的な花粉症の始まりである。

最初は多分、抗ヒスタミン剤を服用していたのだと思うが、これがとにかく眠くなるのだ。

私が新入社員の頃は、まだ花粉症が世間で認知されていたかったので、鼻水をずるずるしているのはとにかく恥ずかしかった。

なので、せっせと薬を服用していたため仕事中にはよく寝ていた。

経営幹部の講話会の時、上司から「お前はすぐ寝るから一番前に座りなさい」と指示され、真正面の席で講話を聞かされたことがあった。結局、この時も見事にいびきをかいて寝てしまった。あとで大目玉を食らったのは言うまでもない。

デートの時などは、直前に花粉症の薬を服用してから出掛けるのだが、やはり眠くなるので会話がなかなか続かない。だから関係も続かない・・・ということを繰り返していた。(花粉症の所為ばかりでもないが)

そのうちに出会ったのがウェルカム社の「フルナーゼ」という点鼻薬である。これは眠くもならないし、これを付け始めてから花粉症がかなりおさまった。

それで、すかさずウェルカム社の株を買った。

ウェルカムは、やがてグラクソと合併してグラクソ・ウェルカムになり、さらには、スミスクライン・ビーチャムと合併してグラクソ・スミスクラインになった。

現在は、ファイザーとサノフィ・アベンティスに抜かれ、製薬会社の中では世界第3位だが、自分の会社(?)が見る見る大きくなっていくのは気持ちが良かった。

でも、株価は下がり続けている。(涙)

しかも日本の株式市場からはとうの昔に撤退している。(苦笑)

イギリスやアメリカに居住しないと、この株を買うことができないので、そんな希少価値だけで持ち続けているといった感じだ。

話は花粉症に戻るが、最近身の回りで花粉症の人は増え続けているが、フルナーゼの使用率はかなり高い。

ただし、少なからずフルナーゼが効かない人も出てきているので、そろそろ新薬の登場が待たれるところだ。

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野鳥観察会に参加する

「成瀬の自然を守る会」主催の野鳥観察会に親子4人で参加してきた。

うちの裏の林は、野鳥観察のメッカになっていて、時々双眼鏡片手に野鳥を観察している人たちを見掛けていたので、ずっと気になっていたのだ。

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参加者は約30名。ほとんどが・・・というよりも我々を除いて全員が年配の皆さん(おそらく60歳以上)ばかりだった。

そして、ほとんどの方が双眼鏡を持っている中、我々家族の武器は私の一眼レフについた200mmの望遠レンズのみ。

2時間半にわたって、野鳥の専門家の方が2名で、鳥のことを色々と説明してくださったが、なかなか有意義な会だった。

結局、2時間半の観察会の中で確認できた野鳥は19種類だった。

中でも一番色めき立ったのが、”鷹”が現れた時である。

誰かが鷹だ!」と上空を指差すと、確かに鷹らしき鳥が悠然と空を飛んでいた。

私もカメラを向けた。しかし、説明員の方が「いや、あれは烏です」と。

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確かに、烏だった。烏も生意気に鷹っぽく飛ぶことがあるようだ(写真は烏の巣です)。

皆が一様にガッカリしていると、説明員がさらに上空を指差し、鷹ならほらあそこに

烏よりも遙か上空を、本物の鷹が悠然と飛んでいた。

さすがに烏とは風格が違う。

誰かが烏を鷹に間違わなかったら、皆そんな上の方を見なかったかもしれない。

写真に収めるにはちょっと遠すぎた。でも、少し感動した。

双眼鏡・・・買ってしまうかもしれない。

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本社に閉じこめられる!

金曜日、豊洲の本社で16時から始めた打ち合わせが、延々と23時過ぎまでかかった。

メンバーは8名、会議室にあった机を縦横無尽に使って資料を作成した。

ほとんど立ったままだったので、最後は疲労困憊。

本当は22時前に会議を終了させ、軽く呑んで帰ろうと思っていたのが、結局最終電車ギリギリまで会議がかかってしまった。

34Fから1Fに降りると、正面のエントランスは閉鎖されている。

時間外用の出口に向かうが、こちらも閉鎖されている。

「ん?」

実は、8名のメンバーの中に、本社ビル勤務の奴が一人もいなかったため、勝手がよく分からなかったのだ。

本社ビルのエントランスはやたらと複雑な構造をしていたため、停止しているエスカレータを駆け下りたりしながら出口を探すが見あたらない。

最終電車の刻限が迫る。

警備員室は我々が閉じこめられた空間の外にあった。

それでも、警備員室に一番近いガラス扉に行き、ガラスをドンドン叩いて警備員を呼んでみた。

ようやく警備員が気づいてくれて、閉まっているドアを開けようとしてくれたが、どうやらその扉の鍵が壊れてしまったようだ。

最終電車の刻限はさらに迫る。

誰かが、一旦エレベーターで上に上がって、外に出られるエレベーターに乗り換えて降りてこようという提案をしたため、一堂エレベーターに向かった。

エレベーターが発進しようとした途端に、扉と格闘していた警備員さんが、鍵を開けることができた。

結局8名のうち1名は最終電車に間に合わなかった。

私は何とか長津田までは帰ってこられた。

それにしても・・・

疲れた。

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